生薬・天然物は薬物として、また新規薬物開発の宝庫として、
WHOによれば、医学が高度に発達した今日においても地球上の約6割の人たちの健康は伝統医療によって支えられている。天然薬物による治療はその中心に位置しているが、それらは発展途上国では身近で経済的に負担の軽いものとして、また先進国では生活習慣病や多重疾患、高齢者などへの適した治療法として多用されている。また、自身の健康維持にセルフメディケーションを取り入れる人が増え、医療従事者の視点も変化して患者のQOLを重視する視点が定着した。
最近では、これらが相まって、現代医学に伝統医療を加味した統合医療という新たな視点も生まれてきており、我が国の医学教育のカリキュラムの中にも和漢薬の教育が組み込まれて、全ての医学部で漢方医学に関する講義や演習がなされるようなっている。今後、医学は科学的治療に伝統的な治療法を加味した形で、発展して行くものと考えられるが、その中でも、天然物は薬物として、また新規薬物開発の宝庫として、確かな役割を担い続けるものと期待される。
薬学は「くすり」という「もの」の学問である。化学薬品であれ天然物であれ、研究の本質に大きな違いはない。しかしながら、天然物を研究対象とする場合、以下に示すように、化学薬品の研究とは異なる多くの視点が必要である。すなわち、 1) 植物、動物、微生物、鉱物など、天然物はきわめて多種多様である。そのために、化学薬品とは異なる基原、性状ほかの生物学的な基礎的データの集積が不可欠である。また、天然物の多くには先人達の貴重な経験知識も付随している。したがって、今後とも天然物を人類の健康に有効活用して行くためには、過去からの様々な情報も含め、知的ライブラリを整備・構築して行くことが重要である。 2) 天然物を材料とした医薬品開発は、今日に至るまで営々と続けられてきたが、天然物が化合物の巨大ライブラリであり、今後も活用され続けることに疑問の余地はない。 天然物化学のさらなる研究展開は、化合物情報の集積と新規薬物開発の可能性の両面から重要である。また視点を変えれば、生物種1個体中にも数千種類の化合物が含まれている。近年は、特殊成分のみならず常成分といわれるものの機能性も広く知られるようになってきた。薬用天然物の科学的理解にとって、多種多様な含有成分の詳細な解析のみならず、それらの総合的な評価もまた重要となってきている。 3) 天然薬物やその成分の生理活性の裏付けは、薬理学的視点からの研究が主役となる。しかしながら、漢方薬などでは1種類の中にも多種類の活性成分が含有されているのが常であり、それらの解析は未だ十分ではない。さらに、複数の生薬を組み合わせる漢方処方においては、多様な活性成分が一度に生体内に取込まれるが、その場合の作用発現の解析も大きな課題として残されている。 4) 天然薬物には、その生産から消費までの過程に係る様々な問題がある。例えば、現代における地球規模での生態系の破壊や乱獲は、各地の薬用資源の将来を脅かすものとなっている。今後、薬用資源の供給は、従来の野生品の採取から栽培生産へ、優良品種の育成などへと向うと考えられるが、そこでは、一定した効果を要求される薬物として、天産物であることに由来する多様性や変異の制御が重要な課題となる。これらの問題の解決には、二次代謝に関係する遺伝学や育種学、遺伝子工学などの研究が大きな鍵を握っている。 5) 我々人類が薬として利用している成分は、本来、それを生産する生物が進化の過程で生み出してきた生き残り戦略の一つとも言えるものである。その成分がどのように生合成されるのか、なぜその生物がその成分を生産するのか、生物にとっての意味は何なのかなど、そこには研究者を魅了する自然の不思議がある。天然物の研究を通じて、それらの謎の解明が出来れば、人類への貢献はさらに広がりをもつものとなる。 6) 人間の健康を回復、維持、向上させるものを薬品とすれば、この機能は広く食物にも認められる。従来から、伝統医学ではこの食物の機能性をうまく利用して疾病治療にも結びつけて来たが、この視点からも薬と食は同源である。近年、食を通して健康の確保を目的とする幾多の健康食品が開発され、巨大市場に成長しているが、これらの天然の恵みをよく理解し生活の中に生かすためには、その有用な働きを科学的に実証し、正しい情報提供をして行くことが、薬学者の大きな責務である。
以上、植物、動物、微生物、鉱物など、地球上の全ての天然物を薬学研究の対象とする本領域は、多様な研究領域が絡み合いつつ独自の世界を形成している。 生薬天然物部会では、この領域に対する現代社会の大きな期待を担う研究者が相集い、切磋琢磨する場として、「天然薬物の開発と応用シンポジウム」と「食品薬学シンポジウム」とを隔年ごとに開催している。